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アイドルの“卒業”という言葉の歪みと闇

ひめキュンフルーツ缶がメンバー全員卒業するらしい

ひめキュンフルーツ缶、ぶっちゃけあまり知らないグループなんですよ。

5月のJAPAN JAMでアルカラとコラボしたのは観たなあとか、怒髪天のメンバーとライブやってるらしいなってことを知ってるぐらい。

 

キラーチューン

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  • ひめキュンフルーツ缶
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  • ¥200
  • provided courtesy of iTunes

 

ひめキュンフルーツ缶から5人全員卒業、11月から新体制に - 音楽ナタリー

 

こういうニュースが出ると、知らないグループでも衝撃はありますよ。

 

“卒業”って良い感じの表現使ってるけど、実質、“クビ”みたいなものだと思ってしまう。

もちろん、メンバーで話し合ったうえでのメンバーの意志もあるのかもしれないけどね。

 

脱退する時に、それを“卒業”と表現することは、最近はアイドルだけでなく、バンドでも使うようになってきて、モヤモヤが加速する。

 

なぜ脱退と言わないのか?

 そもそも、アイドルにしろバンドにしろ、卒業という表現がおかしいと思っている。

言い始めた起源ははっきりしていないけど、おニャン子クラブではと言われているらしい。

 

Wikipediaで卒業を調べると、このように書いてあるんですよね。

 

卒業(そつぎょう)は、学校の規定の全課程を修了すること。

 

 例えるとしても、卒業は少しずれてるよなあと思う。

例えるとしても、“中退”が正しいんだよなと思う。

 

あえて“脱退”という言葉を使わずに“卒業”という表現を使うのは、プラスの理由だろうがマイナスの理由だろうが悲壮感を感じさせないようにするだめだろう。

脱退と言うと、どんな理由にしろ多少は悲壮感出るからね。

好意的に言葉の意味を受け取ると、最後は笑顔で送り出してあげようという意味で卒業という言葉を使うのかもしれない。

それが不祥事や売上不振によるクビだとしても・・・・・・。

 

 lyrical schoolの場合

今年、lyrical school(リリカルスクール)というグループのうち初期メンバーを含む3名が、“卒業”という名目で脱退した。

2016年にメジャーデビューした“ヒップホップアイドルグループ”。

 

メジャーデビュー曲のMVがiPhoneの画面をジャックされたように感じるMVで話題になった。

パソコンから見るとMVの面白さは伝わらないが、スマホで観ると面白いという個性的なMV。

インターネットを普段からやっている人はかなりバズったMVなので観たことあるんじゃないかな。

 

👇画像をクリックで動画になります。

 

このMVは大きな話題にはなったけど、CDの売上に繋がらなかった。

ライブの動員に繋がらなかった。

インディーズと比べると経費もかけてたようだし、動いているスタッフの数も違う。

その分だけ収益の部分がよりシビアになってくる。

そのため、メジャーデビューし一年経たないうちにグループの”テコ入れ”がされてしまったのかもしれない。

 

卒業したメンバーの理由は様々な理由があるとは思う。

本人の意思だとは思う。

でも、残ったメンバーは若いメンバーと人気があるメンバー。

 

今では新メンバーを入れて再始動しているようだけど、売れなかったから大人の事情でテコ入れしたようにしか思えない。

テコ入れすれば持ち直せそうだから、撤退(解散)するのは勿体ないからグループ名は残して、メンバーの卒業をネタに一儲けしてから再始動させたいとしか思えない。

 

実際は違うかもしれないが、ファンでないけど多少はグループを知っている自分のような人にはそう思えてしまう。

個人的には最後に出したアルバムは楽曲の完成度も高くて、よく考えられている作品で好きなんだけどね。

 

 

ひめキュンも全員いなくなるのに“卒業”という形を取ってグループ名を残すのはそういう事なのかなと思ってしまう。

メンバーが卒業するのが10月。

それまでにライブや全国ツアーもあるようだし、”全員卒業”の前に少しでも売上を立てようとしてるのかなと思ってしまう。

 

アイドルもバンドも代わりはいる

こう言うと語弊があるかもしれないですが、アイドルだろうがバンドだろうが、メンバーが脱退したとしても代わりはいるのだと思います。

普通の会社員でも、たとえ優秀な社員が辞めても、なんとか工夫することによって問題なく組織は動くように。

 

例えばバンドでギタリストが脱退してもサポートギタリストを入れて活動を続けたり、新しいギタリストを加入することも多い。

歌ものバンドの要ともいえるようなボーカルが脱退したとしても、WANDSのように新しいボーカルを入れたり、キリンジのように活動形態を変えて続けるバンドもある。

 

例えばアイドルでも中心メンバーが辞めてもグループは続くことも多いし、今回のひめキュンフルーツ缶のように全員入れ替えでもグループを存続させることは可能だ。

 

”続ける”という部分だけを重要視すれば、アイドルだろうがバンドだろうが、代わりの人はいるということになる。

 

代わりがいると思っているのは誰なのか?

ここで気になる部分は”代わりのメンバーはいる”と思っているのは誰なのかということ。

これって、ファンではなくて、グループに関わっているレコード会社や運営ではないかと思う。

 

バンドのファンもアイドルのファンも、好きなグループや応援しているグループからメンバーが脱退することを喜ぶ人はいないと思う。

殆どの人が、このバンドは、このアイドルグループは、今のメンバーがベストメンバーなんだと思って好きになっている人が殆どだと思う。

今のメンバーに代わりはいないと思っている人が殆どだと思う。

 

しかし、ファンがそう思っていたとしても、アイドルの運営もバンドの事務所もそうは思っていないのかもしれない。

メンバーが1人かけても 大人の力でなんとかしてしまうことも多い。

今の状態で大きな結果を出せないなら、メンバーを入れ替えればいいんじゃないかと思っている運営側の人間も少なくはないのだと思ってしまう。

実際、そういったテコ入れで上手くいくことも多いからね。

 

BiSHのアイナ・ジ・エンドの想い

先日茨城県の水戸ライトハウスで行われたBiSHのライブ。

そのライブのアンコールのMCで、メンバーのアイナ・ジ・エンドが話していたことが、とても印象的だった。

 

そのMCで話していたことは、「アイドルには代わりがいる」と言う話ををよく耳にするし、BiSHに対しても、「メンバーが代わっても変わらない」という人がいたり、「この子がいなくなっても、他に代わりはいるよね」と言う人も見ることがあるという話だった。

実際にBiSHもメンバーの脱退や加入が何度かあり、それでも続けてこれている。

だから、もしも自分や他のメンバーが抜けても大人が工夫して上手く活動を続けられるとは思うと語った。

しかし、アイナはBiSHは自分にとって宝物だし、メンバー全員を大切に思っている。

「アイドルに代わりはいる」と言う人たちの気持ちを変えたい、アイドルに代わりは居ないということをBiSHの活動によって証明していきたいと語った。

 

BiSHは売れてきている。

7月には幕張メッセでアリーナワンマンライブも行う。

一般層にはまだまだ浸透していないが、勢いのあるグループと言ってもいいだろう。

そんなグループでも、様々な人から、そのように言われることが少なくはないのだろう。

それに対して、悔しい想いややるせない思いもあり、ライブのMCで決意表明とも思えるようなMCをしたのだと思う。

 

👇MCの内容を詳しく知りたい人はこちらのライブレポを読んでください。

 

言葉の重みについて

このBiSHのアイナのMC、これって、ものすごく重みのある言葉だと思うんですよ。

本人も覚悟をもって発言したと思うし、本気で活動をしていることは現段階でもひしひしと伝わってくる。

本人もこの言葉に重みがあることはわかったうえで発言しているだろうと思う。

 

今のBiSHは勢いもあって売れてきている。

でも、今後何があるかはわからない。

アイドルに限らず、バンドでも人気があったとしても時の経過によって人気が落ちてしまったり、世代交代もある。

もし今後BiSHのメンバーに脱退があったり、新メンバー加入があった場合、それでも問題なく活動を続けたら、「アイドルに代わりはいない」ということを証明できなかったことになってしまう。

 

極端に言えば、もしBiSHにメンバーチェンジがあっても問題なく活動した場合、アイナの発言は嘘になってしまい、”アイドルに代わりはいないことを証明する”ための活動はすべて無駄だったということになってしまう。

今後様々な事情で活動形態が変わることもあるかもしれない。

それが仕方がない事情だったとしても、全てが嘘になってしまう。

 

それをわかった上で発言しているアイナのBiSHへの覚悟や言葉はとても重いものだと感じる。

 

卒業は軽々しく使っていい言葉なのだろうか

アイドルの脱退にたいして使う”卒業”という言葉。

これも本来ならば軽々しく使ってはいけない表現ではないだろうか。

 

本来の卒業という言葉の意味は、学校の規定とする過程をすべて終えることだ。

小学校なら6年、中学高校なら3年、大学でも最低4年は必要だ。

義務教育ならまだしも、高校や大学ではやむを得ない事情で学校を辞めてしまい卒業できなかった人もいるだろう。

卒業したくてもできなかった人もいるだろう。

通いたくても学校に通えなかった人もいるだろう。

 

例えば、アイドルでもそのグループで長年頑張って、結果を出して、新しい目標を見つけての卒業なら、100歩譲って”卒業”という表現を使って気持ちよく送り出してあげることも良いことかもしれない。

しかし、短期間しか活動していないメンバーや、何かしら問題を起こして辞めたり、やる気をなくして辞めた人にたいしても”卒業”という言葉を使うこともアイドルグループでは珍しくないように感じる。

そういった場合に使う卒業という言葉の意味は『卒業と言っておけば波風立てずに辞められるor辞めさせられる』という意味が込められているように思えてならない。

卒業という言葉の意味が歪んできているとともに、アイドルを活動することに対しての大人の事情や闇が見え隠れするように感じる。

 

卒業という言葉を軽々しく使うアイドル運営はアイドル自身についても軽々しく使っているのではということを感じる。

アイドル運営は”メンバーの”やりがい搾取”をしていうところも、少なくはないと思う。

実際に運営への批判や待遇の酷さをSNSで暴露して辞めていくアイドルは多い。

 

メンバーの脱退に関して”卒業”という言葉を使うことに違和感を感じていた理由。

それは、言葉だけでなく、アイドルを、人間を軽々しく扱っているような部分が見え隠れする気がして、違和感を感じているのかもしれない。