オトニッチ

ニッチな音楽情報と捻くれて共感されない音楽コラムと音楽エッセイ

キュウソネコカミの新曲『超えていけ』が売れてなくて悲しい

もっと届いて欲しい

 

キュウソネコカミの歌詞が好きだ。なんか優しいんだよ。キュウソネコカミは。マジで優しい。コミックバンドだと思っている人も多いかもしれない。まあ、それも否定はできないよ。笑わせにきてる曲もあるから。

 

しかし、キュウソネコカミの魅力は面白さだけではない。泣けるんだよ。何度も言うけど優しいんだよ。優しい言葉を投げかけるんだよ。新曲の「超えていけ」も良い曲だと思う。この曲も優しいんだ。

 

しかし、CDは余り売れていない。決してオリコン上位にランクインしているわけではない。悲しい。音楽フェスではメインステージも埋めるほど動員があるのにワンマンライブはチケットが取れやすい。嬉しいが悲しい。

 

フェスでも「とりあえずみんなで盛り上がれるし笑わせてくれるし楽しいよね♪」て感じで観に来ている人が多い気がする。

 

それはそれで全然OKだ。しかし、キュウソはそれだけのバンドではないし、カッコいいし泣けるし感動的なんだよ。今回の記事でばそれについて説明しようと思う。

 

でも、キュウソネコカミの歌はポンコツな人たちでなければ響かないのかもしれない。器用な人やリア充には共感できない歌詞なのかもしれない。

 

 「超えていけ」は適度なダメ人間の歌

 

↓とりあえず聴いてくれ

越えていけ

越えていけ

  • キュウソネコカミ
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

気づいちまった自分は特別では無い
普通の人間ってことに
無敵と思っていた
知らないふりをしていたい
現実なんて見たく無い

 

それでも心の中では
まだあいつに勝ちたい

 

上記は新曲の「超えていけ」のAメロとBメロの歌詞だ。自分自身を特別は人間ではないと気づいたが、無敵だと思っていたから現実逃避したいという歌詞。世の中の殆どの人間は特別な才能もない普通の人だと思う。だから共感できる人も多いと思う。

 

やる気も努力も一向に報われず
周りの成長に置いてかれそうで
焦りまくって
悲しくなって

 

そして、やる気も努力もあるのに報われない自分の状況を嘆いている。この主人公の内面の吐露が歌詞の内容だ。

 

特別な人間ではないしダメダメな人間かもしれないけど、やる気も努力もある。つまり、ただのダメ人間ではなく「頑張ってるけどダメな人の歌」なのだと思う。

 

しかし、「超えていけ」の歌詞は最終的には主人公の感情を吐き出しだけでは終わらないのだ。

 

歌詞の意味が最終的に変わる

 

こうあるべきだとか こうじゃなきゃいけないとか
狭めんなポテンシャル 貴重な人生だ
時は流れ続ける この瞬間も一度きり
恥を恐れずに 光を目指して
才能なんて 運命なんて 越えていけ

 

上記は「超えていけ」の最後のサビの歌詞だ。

 

主人公の感情の吐露から始まった歌詞が最終的にはリスナーへのメッセージになっている。

 

キュウソネコカミはこういう歌詞がいくつかある。自分自身のことや特定の誰かについて歌っているかと思うと、気づいたら前半の歌詞で共感したリスナーへのメッセージソングになっている。

 

そのため、最初からメッセージソングとして歌が始まるよりも最終的には心に突き刺さる。

 

キュウソネコカミは「俺もこういうことで辛いんだ。君もそうなの?一緒に頑張ろう」と寄り添ってくれるようなメッセージを歌で伝えてくれる。優しいなあ。キュウソネコカミの半分は優しさでできているかもしれない。

 

ハッピーポンコツも歌詞の意味が変わる

 

個人的にキュウソネコカミの楽曲で最も好きな曲で、最も優しいと思う曲が「ハッピーポンコツ」だ。優しすぎる。半分どころか全部が優しさでできてきる。バファリンを超える優しさ。

 

一生懸命やっているのになんかズレてる
一生懸命やっているのに笑われている
友達だけれど保護者みたいな友達に恵まれ
なんとかぎりぎりアウト寸前のキワキワを走る

 

上記は「ハッピーポンコツ」のAメロの歌詞だ。主人公は頑張っているのに上手くいかないポンコツな人。それでも友達には恵まれ愛されている人。

 

「ハッピーポンコツ」はこの主人公の歌でもあるが、曲を聴いている人に向けてのメッセージソングでもある。

 

大体モグモグしてればハッピーで

僕ら何度でも立ち上がれるんだ
泣いても そうハムハムしてればハッピー

 

上記は「ハッピーポンコツ」のサビの歌詞だ。歌詞に「僕ら」という言葉が使われている。

 

1人の人物についての歌だったはずが、複数の人物についての歌になっている。歌詞の内容から推測すると「僕ら」は曲を聴いて共感したリスナーも含んでいるのだと思う。もちろんキュウソネコカミのメンバーも「僕ら」にほ含まれているのだろう。

 

いつの間にか「ハッピーポンコツ」に共感したリスナーへのメッセージソングになっている。そして、「超えていけ」と同じようにキュウソネコカミは寄り添ってくれる。優しいなあ。

 

ハッピーポンコツは優しすぎる

 

8割ぐらい仕事こなしていれば

大丈夫社会でやっていけるよ
完璧な人間なんて一握り

 

上記も「ハッピーポンコツ」のサビの歌詞だが、キュウソのやさしさが溢れてる。優しさの容量をオーバーしてる。

 

「8割ぐらい」という言葉が優しいなと思う。頑張っていない人には絶対言わないフレーズだ。「8割ぐらい」という言葉は普段から一生懸命頑張っている人は救われる言葉だと思う。曲を聴いている頑張っているリスナーに向けてのメッセージだ。

 

「完璧な人間なんて一握り」というフレーズも優しい。他のアーティストだったら「完璧な人間なんていない」と歌っていることが多い気もする。実際に完璧な人間なんていないだろう。それ、たぶん人間じゃない。

 

しかし、一生懸命やってるのに上手くいかない人は完璧な人間はいると思ってしまうのだ。自分が努力してもできないことをやってしまう人間は「完璧な人間」に感じてしまう。そして、さらに自分は駄目な奴と思い込んでしまう。

 

そんな人に「完璧な人間なんていないよ」と言っても逆効果だ。「完璧に見えるあの人が完璧じゃないとしたら自分はどれほど駄目な奴なのか」と余計に追い込む。

 

キュウソネコカミはそこも理解して優しい言葉を言ってくれるのだ。悪口にも聞こえる「ポンコツ」という言葉に「ハッピー」をつけてポンコツな人も肯定してくれる。

 

誰もに優しいわけではない

 

キュウソネコカミは優しい。「超えていけ」も「ハッピーポンコツ」も優しい。しかし誰もに優しいわけではない。

 

キュウソネコカミは「頑張っている人」に対してだけ優しいのだ。

 

「超えていけ」はやる気もあるし努力もしているのに普通の人だから上手くいかない人について歌っている。「ハッピーポンコツ」も同じだ。頑張っているのにポンコツな人のことを歌っている。

 

頑張っているのに上手くいかない人に「自分も君と同じなんだよ」と寄り添ってくれるような歌詞で歌ってくれる。そのため誰にでも「頑張れ」と応援するような巷に溢れているメッセージソングよりも、ずっと想いも魂も込められているのではと思う。

 

聴いた人の全てが共感するわけでも感動するわけでもない歌詞かもしれない。でもキュウソの優しさは上辺の優しさではないのだ。だからキュウソネコカミの歌詞のメッセージはずっとブレていないのだろう。

 

キュウソネコカミに優しくしてあげて

 

皆さんご存知だとは思うが、キュウソネコカミも頑張っている。レコーディングもライブも真剣に頑張っている。それは熱心なファンだけでなく、フェスでしか観たことない人も分かるだろう。

 

しかし、キュウソネコカミは頑張っているのにCDが売れていない。嵐や欅坂46の方が売れている。なんてこった。キュウソも嵐や欅坂46と同じぐらい頑張ってるのに。

 

キュウソネコカミのCDを買ったことがない人でもキュウソに感動した人も救われた人もいると思う。キュウソに優しくしてもらった人もいると思う。

 

今度はキュウソに優しくしてもらったみんながキュウソに優しくする番だ。お返しをしてあげよう。では、僕らはキュウソのために何をすればいいのだろうか?

 

その答えは出ている。

 

CDを買おう。